中国医学の歴史を辿っていくと、紀元前11世紀までさかのぼります。
想像できないほど昔から、中国では医学に対する意識が強くあり、いろいろな研究がされてきていることが分かります。
今の学者の人たちも、中国医学の歴史は研究を続けています。
医学とは答えのないものであり、常に発展していくものであるため、これまでの成り立ちを理解することが今後の我々の医療に大きな成果をもたらすのです。
紀元前11世紀は、殷王朝でした。
殷王朝の殷墟から発掘された甲骨があるのですが、この甲骨に掘られている文字を解読すると、病気を占ったとされる形跡があることが分かったのです。
当時、どのように「死」というものが考えられていたかは定かではありませんが、人は生まれて死ぬまでの間に、様々な病気になり、それらは天災と同じように考えられていたのかもしれません。
中国はご存知の通り、とても広い国土を持っています。西の文化と東の文化は違いますし、山の文化と海の文化にも違いがありました。
中国という一つの国で見てみると、その中に様々な文化が存在しており、同じように医療に関する考え方も様々だったのです。
それぞれの良いとされる部分を組み合わせ、また更に研究を進めていく姿勢が見て取れます。
これらの文化が混じり合ったのが紀元前後だとされていることにも、想像を絶する長い時間をかけてきたことが分かります。
同じように西洋医学の発展をしていましたが、東洋医学や中国医学ほどの歴史はありません。
これらを比べてみると分かりますが、西洋医学は「論理的」に病気を治そうとしているのに対して、中国医学は、人間の本来持っている治癒力を活かそうという医学になります。
昔から(それこそ紀元前11世紀から)人は、病になるが、それを防ごうとする、治そうとする力があることは分かっていたのでしょう。
ポイントを治癒する方法を考えるよりも、本来の力を存分に発揮させる事に焦点を当てていたと考えられます。